アロマオイルの歴史|各国での始まりと重要人物

芳香植物を使った記録

驚くことにアロマの歴史はとても古く、始まりは紀元前3000年と言われています。

古代エジプト

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香りは神への捧げ物として用い、死体を保存するミイラ作りの時の殺菌や防腐剤として「ミルラ」や「シダーウッド」の精油を使用していたとの記録が残っています。(ミイラの名前の由来はミルラから来たそう。)オイルやエキスが防腐性、抗菌性の特性を持つため死体が腐敗するのを防いでおり、何千年前ものミイラが発見された時、それらは完全な保存状態だったそうです。また、乳香の壺や、エゴノキ属低木が紀元前3000年に遡る墓の中で考古学者によって発見されました。

クレオパトラ

その他にも、神様と香りは非常に強い結び付きがあるとされており、朝夕の祈りや儀式には必ず香煙を焚いていたそうです。また、有名なクレオパトラはバラの香りを使い、男性を誘惑したり、美を保っていたとも言われています。不衛生な熱帯の国においても、植物エキスやオイルが生活をより快適なものにしていました。病気治療や精神活性の為の処方、調合などが神殿の「処方室」の石板に刻印されています。

古代ギリシャ

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人々は香りをとても愛しており、香料職人は古代ギリシャの特色でもあります。エジプトのナイル川渓谷は医療の発祥地として知られており、古代ギリシャ人はこの辺りで知識を習得し国で持ち帰ったとされています。

そしてとても有名なのが、西洋医学の基礎ともなった、ヒポクラテス(BC460-377)です。彼は“医学の祖”と呼ばれていおり、植物を治療に用いるのを発展させた重要な人物で、人々が植物や薬草の有益な特性を理解することに貢献しました。また「アテネの町を芳香植物燻すことでペストから救った。」といわれています。

彼の死後、ガレノス(BC129-199)という人物がヒポクラテスの医学を基礎とし、体系的な学問を築き上げました。また動物の解剖を行い、解剖生理学、病理学の面で素晴らしい業績を残しています。彼は古代の医学を集大成し、17世紀に至るまで西欧における医学の権威として崇められました。

また“植物学の祖“と呼ばれるテオフラテス(BC372-287)は、植物および生理学について素晴らしい意識を持っており、香料や香りに関する論文を数多く残しました。

古代ローマ

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ローマ人は巨大な帝国を作り、それは500年以上(紀元前27~紀元後5世紀まで)存続しました。彼らは沢山の国々を征服し、それらの国々からあらゆる植物やオイルを手に入れることができました。エッセンスとオイルはローマ文化の重要な部分を占めていました。野生の花を神に捧げるくらいだった人々は、風呂、水、マッサージなどに植物を使用を始めます。風呂はローマ人の生活の中心で、歴史上初の香料入り風呂と言われています。また、ローマ皇帝は芳香樹脂や香料に大金を惜しみもなく使うほどハマってしまいます。

軍医だったディオスコリデス(40-90)は多くの薬物を研究し“マテリア・メディカ”(薬物誌)という書を残します。ここには600種以上の植物、1000項目にものぼる薬物項目が記されていました。

古代アラビア

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予言者マホメットは、神様から啓示を受けたとき、彼の汗が地面に落ち、そこからバラが生まれたといわれております。そして、アラビア人はバラ好きです。

9〜10世紀にかけ“医師の王”と呼ばれたイブン・スィーナ(980-1037)が有機化学を大いに発達させ、現在過去の医療に大きく貢献しました。彼はとても偉大800種類の植物とその利用について正確に述べており、水蒸気蒸留法を使って精油の抽出のプロセスを発見し確立させたのです。また、マッサージに関しても大変細かい指示まで考案しています。

初めてローズウォーターを作り出したとされ、蒸留法はヨーロッパ全土から東洋にまで知れ渡りました。また彼は17世紀頃まで西洋の医学大学の教科書に使われた「医学典範(カノン)」を著しました。

中世ヨーロッパ

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十字軍後(11~13世紀)、騎士や兵士がもたらした植物やハーブの効用について、ヨーロッパは知識を得ることになります。ヨーロッパ人は自国で栽培した、セージ、ラベンダー、ローズマリーなどのハーブから作り出した治療の試みを開始します。中世紀には、人々は植物を抱えたり、ハーブを身につけたり、床に敷くことで伝染病から身を守っていました。疫病大流行期には、香料商や薬種師が疫病に免疫をつけていると思われていました。

インド・中国

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インドと中国は、植物や薬草の利用、エッセンスの医療への使用に関し、4000年もの長い歴史を持っています。

インドでは身体全体のヒーリングの為の治療としての目的、すなわち、同時に身体、心、精神を治療する目的として植物が使われ、アーユルベーダ医療として知られています。中国と同様に何千年前の伝統的な植物を使った治療が元となり、今日20世紀にも針治療、指圧、ハーブ治療などとして沢山の治療法が広まっています。

日本

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初めて香りについての記述がされているのが日本書紀(596)で、「淡路島に“沈香”が漂着し、知らずにかまどで焼くととても良い香りがしたので朝廷に奉られた。」と書かれています。その後もたくさんの書物に記されており、香りを楽しんでいたことがわかります。また、時には薬草にも使われていました。

精油を蒸留する蒸留器「らんびき」が16世紀半ば江戸時代には伝来しており、蘭方医学で精油が治療に使われていました。ヨーロッパでは精油を使った治療が行われていたため、日本に西洋医学が伝わった際に、解剖学などと共に精油を使った治療法が伝来しました。江戸幕府が東インド会社に、ガラス製蒸留装置の輸入や蒸留技術者の派遣を依頼した記録が残っており、蒸留小屋が設置され(場所はおそらく出島と推測されている)、日本人に高度な蒸留技術が伝承されました。精油や芳香蒸留水が蘭方(西洋医学)で盛んに用いられ、ハーブや香辛料の情報、精油の効能や利用法が翻訳されて伝えられ、明治時代には、北海道北見のニホンハッカや富良野のラベンダー、楠から採れる樟脳油など、香料植物を栽培し精油を輸出していましたが、合成香料や輸入自由化による海外の廉価品の影響などで、日本の精油生産は廃れてしまいました。

近代のアロマテラピー

“アロマセラピー”という言葉は、1920年代にフランス人の化学者ルネ・モウリス・ガットフォセによって名付けられました。彼は薬剤師でもあり香料師でもあって、彼の家の店で働いていた時に、彼は手を火傷してしまい、ラベンダーオイル入りの水桶に入れて冷やしました。そして、オイルが火傷を癒し跡が残らずに済んだことを発見し、第一次世界大戦(1914-1918)でオイルを負傷兵に用い、傷がすぐに治る結果となった。彼はその後、エッセンシャルオイルの治療効果の実験を進め、1928年に“アロマセラピー”という言葉を、彼が伝えた科学調査書の中で初めて使用しました。

その後ジャンバルネ博士は精神異常や火傷、創傷における効き目の調査を継続し、殺菌作用があることを発見し、第二次世界大戦(1939-1945)における負傷兵に用いました。

また彼の研究の継承者であるオーストリア人のマルグリット・モーリー女史はアロマセラピーを英国にもたらしました。彼女は、オイルをマッサージに使用した時に肌に大変よく吸収されることを発見し、1940年にマッサージ治療にオイルを用いることをイギリスに伝えアロマの母と呼ばれています。彼女はDr. W.E.アーノルド・テイラーミッシェル・アーチャーイヴ・テイラージャン・バルネを含む何人かの助力によりアロマセラピーの実践を開始した。彼女の生徒たちも実践に踏み切り、より関心が広間しました。さらに、最初は美容治療であったロバート・ティセランドにより医学的治療として発展してきました。彼女は1977年に「The Art of Aromatherapy」を出版しました。

ガットフォセと彼の弟子達のおかげにより、アロマセラピーは再び真剣に取り上げられるようになり、現在では正当的薬品、市販薬品から離れることが、補足的自然治療を利用する興味の原因になっています。そして、肉体、精神療法における補足的治療法としてのセラピーである伝統的医療が今日一層取り入れられています。

日本でのアロマテラピー

アロマテラピーという言葉が日本へ紹介されたのは1980年代で、「イギリスからの自然派美容マッサージ」という認識をされていました。「アロマセラピー」とは日本語では芳香療法と訳されることが多いですが、元々は精油を薬剤として用いる薬物療法を指しており、フランスでは現在もこの意味で使われています。(フランスでの“アロマセラピスト“は医師免許を持つ人にしか使われない。)

現在日本では、広くはアロマコロジー(芳香心理学)、美容を目的とする行為、ただ精油の香りを楽しむ趣味やリラクゼーション法の一種として認知されていますが、医療の分野でも使われることもあり、補完・代替医療のひとつとして知られています。病気の予防、通常の治療の補助的療法として利用され、介護や看護の場面で行われたり、病室の環境改善に用いられることもあります。

ですが、日本では「精油」は雑貨の分類にされており、精油に薬理作用があることなどを記載して販売することは禁止されています。